【センター英語】今までの英語学習を振り返る(前編)【116点】

留学

アイリちゃんは暗黒魔道士!をループ再生しながらブログ更新。最高にやりにくい。

チュウニズムやりたいし二郎食べたいので日本に帰りたい。8月中旬に二週間ほど日本に帰ります。ちなみにオーストリアはPhD課程の院生でも有給休暇が25日分もらえます。土日合わせて1ヶ月超。8月はバケーションシーズンで上司も誰もいないので日本帰ります。お盆だし。

前置きはこんなところで、今までの英語学習を大学受験時代まで遡って(オーストリアの白ビール飲みながら)振り返ってみたい。別にサクセスストーリーでも失敗談でもなんでもなくただ振り返るだけです。

(※長くなった、ていうか英語関係ない部分が長くなってしまった。前編で一番言いたかったこと

高校〜浪人時代

自分は英語が苦手な高校生だった。高一の時に受けた河合塾の模試の英語リスニングが難しすぎて寝た記憶がまだ残っている。題名にある通りセンター試験の英語は116点。しかもこれ一浪時の点数。現役の時は124点だった。リスニングは16点くらいだったか。適当にマークしてた方がまだ点数が伸びていた可能性がある。今では多少マシになったと思う。

好きな科目はマメに勉強するタイプだった。古文とか、東方好きだったので永夜抄関連で竹取物語の要説シリーズを買って寝ながら聴くように録音したデータが未だに残っている。要説シリーズは他にも伊勢物語とか枕草子とか持っている。アニメうた恋い。が大好きなので2ヶ月前に筑波山に行った時はけっこう興奮した。全国の大学図書館で初版が1冊しか存在しない百人一首ドイツ語訳のコピーをちゃんとオーストリアに持ってきた。安倍仲麿の歌は海外に長期滞在中の自分の心によく響く。

まぁつまり要約すると英語よか古文の方がよっぽど好きでした。英語苦手かつ大嫌いだった。

大学時代(研究室配属前)

大嫌いだった科目が好きな突然好きになるわけもなく、大学入学後も英語を敬遠していました。一時期はドイツ語の方ができた疑惑がある。2年次の英語は通年で単位を落として3年生で英語だけで8単位も取得した。自分は日本人だし日本語環境でなんとかなる国なのだから英語なんて将来使わんだろうという言い訳を自分に言い聞かせながらまったく英語勉強しなかった。当時はDies Iraeとかにハマっていたのでドイツ語の勉強モチベーションがやばかった。Bad Appleのドイツ語VerとかDies Iraeの詠唱を全部ノートに書き写したりしていた。

大学3年生の冬ごろに初めてTOEICを大学に受けさせられた。対策はしたかあまり覚えていないけどTOEICが800点くらい取れてた友人から有名な特急シリーズを借りて読んでた記憶がある。そんで初めて受けたTOEICが465点だった。弊学は英語が苦手な人が多かったのでこれでもたぶん真ん中くらいだと思う。ちなみにうちの大学では確か530点くらい取れると単位がもらえる。研究室配属前からおそらく自分は大学院に進学するだろうと思っていたので就活とかする必要もないし英語に関しては特に危機感を感じていなかった。

大学時代(研究室配属後)

研究室配属以降は共同研究で某国立研究所にほぼ毎日足を運んでいた。現地のSupervisorに付きっきりでいろんなことを教わった。ここら辺で自分の英語に対する価値観が変わっていったと思う。価値観というか英語の重要度が高くなっていった。自分はGPAが推薦取れるほど高くなかったので院試を受ける必要があった。院試の募集要項を見ると英語の割合が思ったより高いことに気づいたので一生懸命勉強しようと決心した。

受験生用のDuoと速読英単語を使って一生懸命勉強した。まぁリーディングは研究室配属以降英語論文を毎日長時間読んでいたため苦手意識は昔ほど感じていなかった。リスニングもPodcastで興味のあるサイエンスチャンネルとか聞いたりして耳を慣らしていった。大学院募集締め切り直前のTOEICで695点まで上がった。

自分、英語できるじゃんと当時は舞い上がってしまった。院試の英語もほぼ満点で提出できた。非常に満足したのでドイツ語の勉強に精を出すことにした。(結局B4時になんとか2級受かった

院試後、英語の勉強をやっていたわけではないけど習慣として英語に触れることが多くなった。Wikipediaも英語優先で読むようにしていたと思う。英語嫌いな自分はどこかへいってしまった。

大学院時代
某国立研究所の周りの人の影響もあって海外に行ってみたい欲が湧いてきた。旅行ではなく研究留学か海外インターンで。うちの大学は国際インターンシップ制度がありアジア・アメリカ圏の研究所・大学で給付型奨学金付きでだいたい2ヶ月間くらい留学できる制度がある。すっかり英語を克服した(と思っていた)自分は行きたい欲もあったし応募してみることにした。当初はアメリカに行きたかったけどTOEICの点数が800点くらい必要と言われ、そんなん該当するやつこの大学にほとんどおらんだろ、と思いながら共同研究していた研究所関連の研究機関がタイのチェンマイにあったのでそこで約2ヶ月間、研究インターンをした。

実は海外に行くのはそれが初めてだった。初めての海外が東南アジアで2ヶ月のインターンは死んでしまう可能性があると思ったので英語(主に英会話)をがっちり勉強していこうと思った。(実際タイ人の英語能力はさほど高くないので日常生活レベルではそこまで役に立たなかった、と今になって思う)

英会話教室はとても高くて貧乏院生には無理だったので当時流行一周遅れでハマっていたソードアートオンラインの北米版をみていた。好きなパートをウォークマンに入れていつも聴いていた。スグハの声優が上手すぎる。ファンになった。これはいくらか役に立ったと思う。フレーズが頭から離れなくなるので。今でもたまに聴いている。

実際の研究インターン中は当時英語論文読みまくっていたせいか仕事における英語は特に困ることはなかった。意外とテクニカルタームさえ頭に入ってればディスカッションはなんとかなった。最後の30分間のプレゼンテーションもなんとか原稿無しで乗り切った。(一週間ほど練習した)

むしろ日常英会話の方がどう会話を進めて行ったらよいのかわからず、結局はコミュニケーション能力の問題なんだなという理解に行き着いた。

ちなみにタイでのインターン中にヴルカヌスインヨーロッパの募集期間だったのでタイにいながらヴルカヌス用の英語小論文などを書いた。24時間オープンのカフェで毎日深夜の1時くらいまで残って作業していた記憶がある。英語の小論文を添削してくれる人がいなかったのでいくつかLang8に投げた。

当時の文章がまだ残っていた。今ならもう少しマシな英文書けると思う。もちろん国・会社の情報はぼかしています。

結局英語の小論文がどう評価されたかわからないけどヴルカヌスの方は選考が通った。行きたかったドイツ語圏の企業に決まったのでタイからの帰国後は英語よりもドイツ語の勉強に集中した。

会社の意向で語学研修は英語2ヶ月・ドイツ語2ヶ月となったので英語の方はなんとかなるだろうとM1の後半はドイツ語と研究の方を頑張って英語はノータッチだった。

ヴルカヌス時代(M1とM2の間)

英語研修時代。を書こうと思ったけど書くの疲れたのでまた今度。

前編で一番言いたかったことは大学の4年生くらいまで勉強してなくても英語はなんとかなるよ!ってことです。あとTOEICは700点くらいいったら執着してない限りはもうTOEIC対策しなくていいと思う。英語の運用力はTOEICでは伸びないので。英語でアニメ見ていた方がよっぽど伸びる。

次回があればイギリスの語学学校と初めてできた海外の友達とヴルカヌスインターン終了後の日本での英語力維持とか、まぁまたオーストリアの白ビール飲んでいるときにでも書きます。ではおやすみなさい。

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