ドイツ留学に興味を持ち始めたのは学部3年のときあたり。きっかけはドイツの文化とかよりはドイツ言語。母校は理工系大学ではあるものの第二外国語は一年次必修となるのでドイツ語を履修した。別に全然優秀とかではなかったけど、一年次のドイツ語の成績は優すらついた記憶がない。当時は単位を取ることすら精いっぱいだった。理工系学部なので当然、ドイツ語以外にも実験だったり数学物理科目の方が大変かつ大事なのでドイツ語に割く時間は正直あまりなかった。
二年次からは必修の二外は無くなり、選択制となる。一年次と比べると人数は3分の1くらいとごっそり減るのだが、自分は通年で選択ドイツ語を取り続けた。別に何も高度なことはやっておらず、そもそも一年次は文法のみなので(一応、接続法二式まで扱うが)、初めて長文に触れるのが二年次から。それも題材はグリム童話。ただ語彙もわりと独特なので今読めと言われてすらすら読めるかは正直わからない。まぁそんな感じで一年間を通してグリム童話からいろんな物語を拾って読んでいた。授業は正直あまり聞いておらず、大二病だったんでゲームに出てくるドイツ語詠唱の書き写しとか同人音楽のドイツ語版歌詞の書き起こしとかずっとやってた。(これがたぶん自分の今までのドイツ語の勉強の中で一番役に立ったと思えること。ドイツ語の発音と合わせてめちゃくちゃ読む速度が上がった)
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電通大のカリキュラムでは3年次まで第二外国語を学べる。一応上級科目扱いで本校で学べる第二外国語の最終到達点。自分は学部3年次以降、B4, M1, M2と単位を取った後も聴講生としてこの講義を取り続けることになる。この講義も基本的には長文精読でテーマはグリム童話から変わって時事問題、主にドイツのニュース記事から多様なテーマについてのドイツ語長文を扱う。当時はサッカーW杯とか洪水とか著名な作家の訃報とかまぁホント内容は多岐に渡るが、けっきょくは時事問題なので広く浅く、テーマを絞って深く読むようなことはしなかった。文章のレベルも独検でいうところの2・3級程度、3年次向け上級科目とはいえ、週一程度の講義でたどり着く難易度はそんなものである。
ここら辺からドイツへの留学が頭の片隅にちらつきはじめた。講義で扱う内容は主にドイツの出来事だし、先生が授業の合間にドイツにいた頃のエピソードをいくつも入れてくるのでそりゃ興味が湧いてくるのはしょうがない。別に留学ではなく旅行とかでもよかったけど貧乏学生にそんな金はなかった。
それに加えて、単位互換制度を利用して東京外語大にも足を運んでドイツ近世史の講義とか取ってたりしてたので、留学、するなら絶対にドイツと当時は心に決めていた気がする。
一応、留学センターにも足を運び、ドイツ語圏で交換留学制度を設けている大学があったのだが、すでにB4で研究と卒論で忙しい中、半年大学を離れることは留年を意味していたので交換留学は断念。学部生のうちの留学はあきらめることになる。ちなみに卒論の時期は忙しかったんだけどこの時に独検2・3級ダブル合格した。(昔の記事→・)
ドイツ行きたいなーと胸に抱えながら修士に進学した矢先の5月ごろ、学内でヴルカヌスインヨーロッパのポスターを見つけ、これが結果として人生を大きく変える。国費で4か月の現地語学研修と8か月の欧州企業でインターンができるというのはめちゃくちゃ魅力的で交換留学や研究留学よりもこれでドイツ行こう、と自分の中で何か腑に落ちた瞬間だった。となればあとは戦略的に選考を勝ち抜く作戦を考えた。ネットで拾える選考の体験談を集めてどのように選考が進んでいくのかを調べた。(これが今やググると自分の体験談がほとんど一番上に出てくるんだから面白いものだ。これまで何人もヴルカヌスの後輩と会ったけどだいたいは自分の書いた駄文を読んだことがあるというので正直恥ずかしい)
そして先人たちの体験談を一通り眺めたあと、とりあえず海外経験は積んでおいたほうが良いな、と思ったので、大学の海外インターン制度を利用して夏休み期間2か月ほどタイの研究所にお世話になった。帰国直後、海外経験もほやほやの状態で選考が始まり、無事一次書類選考合格。そのあと、研修可能企業のリストから二社を指名する必要があり、ここで自分は当然ドイツ企業を志望する予定だった。。。
しかしながら、自分の専攻分野と研修内容に合致するものがドイツ企業にはほとんど無く、これはかなりショックだったのだが、結局専門的に近くなくとも遠からずみたいな独企業一社と、一方で専門がかなり合致していたベルギーの企業を一社選んだ。そして、〆切前日になって改めて再考に再考を重ねて、その独企業ではなくより専門に見合ったオーストリアの企業に選び直し、モチベーションレターとCVを書き直して提出した。もともと目指していたヴルカヌスプログラムにおけるドイツ留学をあきらめた瞬間であった。てかまぁ派遣機関からも国では選ばずに企業の研修内容と自身の専門と合致するところを選べとは再三言われていたので、正しいことではあるのだが、それでもドイツに行く気満々だったものだから二次選考への緊張と少しの失望が混じったよく分からない感情であの時は過ごしていたと思う。そして第三次選考まで終わり、派遣先は土壇場で変更したオーストリア企業となった。
結果としては大当たりでこのオーストリア企業でのインターンがあったからこそ、すでに5年近くも経つが今もこうしてオーストリアに住んでいるし、その伝手で博士課程へも進学できたし、博士号取得後はもその会社に残れることになった。あそこでドイツに行きたい気持ちを優先して独企業を選んでいたらとか、ベルギーに派遣されていたら、ここまではうまくいっていなかったように思う。知らんけど。オーストリアに長居し、墺文化、ドイツ語オーストリア方言に触れていくうちにいつの間にか過去抱いていたドイツへの想いみたいなのは薄れていった。今でも海外旅行、といえばフランスでもなくイタリアでもなくドイツに行きたいとは思うけど、アットホーム感でいえば圧倒的オーストリアなので今後もヨーロッパで住む前提であればよっぽどの理由がない限りはオーストリアを離れるようなことはないだろう。
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