ジョブオファーから給与交渉と労働契約書へのサインまで

前回の続き。流れとしては

インターン先上司からの電話→上司の上司(R&Dトップ)との面談→人事との面談・給与交渉→労働契約書へのサイン(今ココ)

R&Dで専門的なプレゼンとかやりたいこととかキャリアプランについて上司陣と話した翌々週くらいに人事部のマネージャーとのオンライン面接があった。おそらく一般的な就活とは全然順番が違うんだろうけどここで初めてCV(履歴書)を提出。今までは普通にWordで書いてたんだけど今回、初めてOverleafのテンプレートを参考にLatexで仕上げた。

おそらく外国人従業員専門の人事のプロであったのか、オーストリア人ではなかったため、フル英語面接。あいさつからすべて英語というのはすでにドイツ語に慣れている自分にとってはむしろ要所要所で度忘れがあって大変であった。向こうも自分がすでにインターンで働いたことがあるというのと共同研究でも何度も足を運んでいることを知っていたため特に改まった話はなく、1時間の予定が15分くらいで終わった。外国人である自分にとってはビザが死活問題なので会社が全面的にサポートしてくれることだけは念には念を入れて確認して、給与交渉も自分の言い値がすんなり通って終わった。(むしろ、そのあと少し上げてくれた。会社側が上げてくれたとなれば自分からまだ上げられる余地があったということで給与交渉としては失敗だろう)

というか、欧州企業の人事との面接がどういったものなのかまっっったく下調べもせずに臨んだので、いきなりいくらほしいか聞かれて戸惑った。いちおうオーストリアのポスドクが大学でもらえる給料をリファレンスとして用意していたので事なきことを得た。入社時点(今年の夏)では博士号取得は到底間に合いそうもないので修士卒という扱いでの就職となるのだが、そのわりには自分にとってはけっこう満足な給料だったのでよかった。

見込みでは年末くらいまではディフェンス(博論審査後の博士課程最終発表)を終わらせたい旨と、最初の半年くらいは博論のために週労働時間を40時間→30時間に減らしてほしいとの要望も通ったので何の文句もない。ディフェンス終了後、仕事にも慣れて労働時間を40時間のフルタイムに戻すときに今度は博士号引っ提げて給与交渉に臨みたい。

その後、労働契約書が送られ、すべてのページにサインを済ませ送り返して一連の流れが終了。今は別のビザサポート専門の方にあれこれ言われながら書類を準備している。ちなみに労働契約書を見て初めて自分の役職を知った(Senior Engineer)。RFとかR&Dとかがつくのかと思ったけどそうではなかった。労働契約書眺めながら、インターンからPhD挟んで正社員という修士終わったあたりで思い描いていたルートに着地できたことに安堵の気持ちが湧いてた。オーストリアでのPhD後の食い扶持をひとまず確保。いつまでいるかは正直わからないけど、やる分にはバリバリやっていきたい。

本当は最初から週40時間フルで働く予定だったのだが、その後、博論を提出しに帰ってきたものをほとんど知らない教授と准教授から10時間くらいは時間確保しておいた方が良いと言われたのがフルタイム(30時間)にしたきっかけ。当然のことながらお賃金は4分の3になるのだが、さっさとフル賃金が欲しかったら博士号取りましょう、とむしろ自分にとっては良いプレッシャーになるのでこれで良かったと思う。4分の3でも正直今とあまり変わらないんで何の焦りもないんだけど。

そんなことよりも隣国(ハンガリー)の隣国(ウクライナ)が今大変なことになっているのでその余波がこちらまで飛んできたりしないかのほうが不安である。世界大戦規模にまでなっちゃうと正直日本に帰国したい。日本にも企業のオフィスはあるので辞職せずにすみそうだし。でもそうなってしまうと日本にいるのも危なくなるのか。ここ数年で健康・安全がどれほど大切なものかを再認識させられている。平和であることが一番だよ本当に。偶然なことに今日は3月11日。当時を思い起こした記事を書いたのももう1年前になるのか。令和になっても戦争、災害、疫病の無くならないこと。
ちなみに自分、ただ今唾液腺炎というものにかかっていて口開けるのも寝るのも大変な生活を送っております。一週間くらいで治ってほしい。来週には日本に帰国する予定もあるので。オーストリアで感染症にかかるのはこれで2度目。食べ物も水道水も全く問題ないんだけどやはり何か合わないものがあるのかもしれない。

終わり

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