ヴルカヌス・イン・ヨーロッパを振り返る~アプライ編

夜中のテンションに身を任せ当時をただ振り返るだけの記事

9月もぼちぼち半ば。この時期になるとヴルカヌスの出願時期を思い出させてくれるようにヴルカヌス関連の記事へのアクセス数が伸びる。自分にとってはもう3年も前のことになるが今でも一日一日を具体的に思い出すことができる。

なぜなら3年前の9月はまるまる研究インターンでタイにいたから。タイのチェンマイにいた。チェンマイのタイ国立天文台で電波望遠鏡の設計補助業務に携わっていた。当時はあれが自分にとっての初めての海外経験。大学院に入るまでは海外旅行すらしたことがなかった。(卒業旅行すら当時は研究が忙しかったため日帰りの富士急ハイランドだった。)

てか海外自体興味などなかった。ただのゲーマーだったし、今もそうだけど。M1の4月ごろに大学の研究棟でヴルカヌスのポスターを見た。どうやら国のお金で1年間ヨーロッパに、それも現地企業で研究インターンができるらしい。当時海外は興味なかったがドイツだけは興味あった。ドイツ語2級まで取ったし(過去記事参照)

せっかくだからドイツ語を使う機会が欲しかったのとB4から外部の研究機関で研究しておりそこで働く研究者から刺激を受けて海外で研究してみたいという想いが芽生えつつあったのもあってヴルカヌスに申し込むことにした。

しかしそれは途中帰国禁止の1年間ヨーロッパ滞在プログラム。海外に出たことがない自分にとっていきなりヨーロッパ1年はハードルが高いのではないだろうか。なので大学の海外インターンプログラムを利用してM1の夏休み開始後タイへ飛んだ。タイで2か月生きていけるならヨーロッパでも1年生きていけるだろう、という論理である。ヴルカヌスの一次選考締め切りは9月の22日。いちおう必要書類は研究室の机の上に封筒と一緒に置いておき、決心がついたら小論文を完成させ研究室の同期に印刷して投函してもらおうという塩梅である。

でもたぶん決心は最初にポスター見た時点で決まっていたと思う。タイの研究インターンも今思えば完全にヴルカヌスへの踏み台的役割を果たしていた。なぜなら毎年20人程度しか受からない海外インターンプログラム。少しでも海外経験があった方が選考では有利に働くだろう、それが研究インターンであればなおさらである。
そんな打算的な思いを抱いたタイでの海外インターンもそれはそれでかなり必死だった。毎日仕事が終わってからも24時間オープンのコワーキングカフェで深夜1時までセルフ残業をしていた。あれのおかげでかなりMATLABのSimulinkの使い方には長けたと思う。自転車のカギをなくして帰り道自転車を担ぎながらチェンマイの夜道を野犬に追いかけられたのは今でも人生で死ぬかと思った瞬間Best3に入る。

一次選考の小論文は英語でも書かなければならなかったし教授の推薦文も必要だったので大変だった。タイにいながらも教授や英語・インターン推進室の先生にお願いしまくったりLang-8でネイティブの人に添削してもらったりとりあえず使えるものはフル活用した。あれで落ちていたらいろんな人に合わす顔がなかったと思う。しかも一次選考の締め切り一週間後にはタイでの海外インターンでの成果発表も待ち構えていたのでそれの準備にも追われていたので当時の心労・疲労度はヴルカヌスのインターン中のどの瞬間よりも大きかっただろう。

でもあの時考えに考え抜いて5年後・10年後くらいの自分を何回もイメージしたからこそ今自分はヨーロッパにいることができるのだと断言できる。

自分が尊敬している某天文台の恩師曰く、留学で得られるものの7割くらいは行く前の準備段階でもう決まるというのはまさしくその通りだと経験した今では思う。けっきょく、行けば何かあるかも程度のノリで出てきても得られるものはたかが知れているのだ。

特にヴルカヌスやトビタテなんかは国費で行かせてもらう立場なわけで、何も得ることができませんでしたでは税金の無駄遣いである。せっかく与えられたチャンス、最大限活用するためには準備段階から全力投球であるべきである。というノリで出国前は修士の研究の方がおろそかになってしまい本来自分が論文として出すべきであった研究テーマを指導教員に投げる形になってしまったことはこれからも一生後悔すると思う。

3年前と同じようなノリで今年、またオーストリアの新天地での生活が始まったけど、あのヴルカヌスに申し込んだ時期に悩みまくったおかげで今も軸がブレずに生きていけてると思う。最近は将来アカデミアに残るかインダストリーの世界に移るか悩んでいるけど。まぁそれはこちらでの研究生活次第でしょう。

ここまで読んでくださりありがとうございました

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