コロナ禍始まって以来、特にTwitter上で目にするようになった単語。初見ではでわのもりと読んでた。力士か。
以下、Wikipediaからの引用
俗語における出羽守(でわのかみ)は、他者の例を引き合いに出して物事を語る人のことである。 ではの神という表現も存在する。 特に、海外と比較して日本を揶揄する人を「海外出羽守」と呼ぶ。
要はコロナ禍で世界が大きな問題に同時に直面することになり、何かにつけては日本の政策や方針を引き合いに出して自身の住んでいる国のいかに素晴らしいか、日本がいかに遅れているのかを主張したい人。別にコロナ禍でなくとも最近は東京五輪とかジェンダーギャップとかネタの提供元も豊富である。海外出羽守は欧州方面に多いともっぱらの噂。
問題提起や説得力のある根拠に基づいた主張をされているならともかく、出羽守論調というのはとにかく結論ありきで自説に都合のよいデータを持って来て比較にもならない比較をしているのが大多数だと見ているかぎりは思う。そういうのお目にかかるたびに”お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな”のブラックゆのっちの画像が思い浮かぶ。
反応したら負けだと思うんだけど海外在住者というのがどこか琴線に触れる人たちもいるようで、比較になってない比較にこれまた滑稽な反論でスレッドが埋まり地獄の様相を呈しているのが最近のTwitter。まだ5chの嫌儲板の方がマシ。あと最近「批判」という言葉がなぜか、悪口・陰口を言うという意味に変わってきていないだろうか。批判自体は良い意味合いで使われるべき言葉だと思っている。
揶揄するどころかただヘイトを撒き散らしているだけの人もたまにいて、よっぽど日本にいた時苦労したんだな、と気の毒には思わない。ただこういうの見かけるたびにこういう人はリアルでも日本に対してこういう態度を取っているのかな、と気になる。
欧州は自国を愛して止まない人たちが多い、と自分の見て来た範囲では思う。別に誰もが自国マンセーというわけではないけど、へりくだることもあるし。批判的な目線に立っていても好きか嫌いかは別軸の問題。自国を嫌いだという人は今までに見たことがない。
例えばグローバルな職場でコーヒーブレイクの歓談の場において母国について紹介する場面は一度や二度だけではない。特にこっちの人は基本的に普通の日本人が飲み会ではあまり話題にしないような社会問題、文化、歴史等々堅苦しい話が好きだから自分の持つ知識や経験、果ては歴史観まで問われることになる(と同時にタブーな話題も数あれど)。その場において出羽守論調はおろか母国の悪口が止まらないような人はこちらではあまり信用されるタイプの人間ではないだろう。自国はともかく他国の悪口に同調するのももってのほか。勘違いがあればそこはきっちりと訂正しなければならない。そうして初めてこちらでは対等の関係が築けるのではないかと思う。
海外での職場でも語学学校でも母国を紹介するときに、誰だって自国の良いところは自慢するし恥ずかしい部分は隠そうとするのはごく自然な感情だと思う。その中で嬉々として恥部をさらけ出してるような人がいたら周りは引くだろう。
もちろんどこの国だって大なり小なり問題は抱えている、と同時にそれ以上の魅力が探せばあるだろう。自国のあらを探すよりも双方の魅力を探してそちらを伝えるほうが立場も脆くストレスを抱え込みやすい海外在住日本人にとっては精神衛生上的にもよいのではないだろうか。
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