博論が進まないとき、国際会議の論文が進まないとき、やるべきことから目を背けているときほど過去を振り返って何か長文書きたくなるので今年はくだらん過去の振り返り記事が増える予定。
1・2月と大学入試のシーズンになると受験生時代を振り返ることが多くなる。今からちょうど10年前。浪人生の二月。おそらく一年のうちで一番忙しくなければならないであろう時期。2月4日はたしか理科大入試とかの前々日とかにも関わらず親に内緒で宮城から福島まで、モバゲーで仲良くなった女の子とのオフ会デートしに行ってた。実は単身で県境を越えたのはあれが初めて。福島から仙台までの高速バスの道中景色が山ばかりだったのを覚えている。
浪人生活は全体的に楽しかった。なんなら伝統と校則に厳しい自称進学校に通っていた男子校時代よりも楽しかったんじゃないかと思う。高校は肌に合わなかった。自称進学校特有の国公立信仰、塾・予備校不要論、受験は団体戦、ほぼ強制参加の夏期・冬期講習、悪いところを挙げるとキリがない。男子校だし。陽キャリア充高校生とか見かけるだけで今でもダメージを受ける。生涯どく状態。今はカトリックの国に住んでいるのだが教会にいっても治療はできない。まぁ高校に行く前の思春期の時点でちょっと歪んでたのであのまま共学いってもたぶんオタクのまま終わってたと思う。そんなわけで高校時代はあまり高校生活に思い出がない。大学生とオフ会ばかりしていたゲーセンの方がよっぽど思い出がある。
大学受験も一年目はダメだった、まぁ浪人してんだからそれはそうなんだけど。センターはボーダーギリギリ、二次は数物はまぁまぁ解けたけど最後の英語で完全につまずいた。一応、受かるつもりで臨んだ入試だったのでわりとショックだった。ショックのあまり、中央線で新宿から東京に向かうはずが気づけば吉祥寺とかにいた。帰りの新幹線の中で浪人生活どうしようとか思ってた。合格発表日周辺の記憶はあまりない。数日後大震災が来たから。ウチの地域は6強だった。後期はもともと行く気もあまりない駅弁大学がけっきょく震災の影響でセンター利用のみとなって合格したけど親に文字通り土下座して浪人することにした。自称進学校のもう一つの特徴は、けっこうみんな浪人する。当時仙台は河合塾が一番規模が大きかったのでほとんどこぞって河合塾行ったのだけど自分は慣れ合いとかするの嫌だったんで人がいない駿台を選んだ。仲の良い友達数人もそっち選んでたのはけっこううれしかった。
浪人生活は楽しかったと書いたんだけど予備校生活が楽しかったわけではない。高校からの友達以外、新しい友達できなかったし。ほかの浪人生がそうするように自分も落ちた大学のワンランク上の大学を目指すクラスに入った。クラス担任の最初の説明で、現役で落ちた大学から浪人でワンランク上の大学に受かる確率はかなり低く、だいたいが落ちた大学と同程度か、むしろそれ以下の大学に最終的に決まっていくみたいな話をされたのをよく覚えている。自分は浪人したところで第一志望を変える気はとくになかったし、調布での大学生活をすでに思い描いていたのでクラスの担任にもその旨を伝えて、難関クラスのまま一年を過ごした。
しかしながら、やはり授業は難しくて特に物理とか微積をバンバン使うもんだから脳死状態で板書写してたし、一番のボトルネックで浪人の原因ともなっていた英語はようやく多少は読めるようになったかな、程度では難関クラスの英語は読めんし、古・漢文の授業とかもあったけどそっちはまともに起きていた記憶がない。そもそも自分は一人で自習室にこもって勉強してる方が性にあっているということに気づいてからは授業や予備校のテキストよりも市販の参考書、数学はプラチカとか物理は良問・名門、英語は速読英単語とかばかりやっていたもので、そうすると模試の成績もけっこう伸びて夏の終わりころにはだいたい志望校A判定取れるようになっていた。たぶん、このまま過ごせば普通に受かるだろうとは思っていたので、プレッシャーをまったく感じなかったわけではないが、気晴らしも大事ということで平日は予備校後にゲーセン通い、頻繁にオフ会、家に帰れば深夜まで勉強するふりをしてシューティングゲームに勤しむという日々を送っていた。
仙台駅には仙台七夕の日前に短冊が置いてあり、好きに願い事を書けるのだが大学合格よりもシューティングで目標スコアの達成の旨書いたら翌日に達成したことは予備校生活のなかでも特に記憶に残っていることだ。
そんなこんなでなんやかんやも特に何か大きな事件が起きるわけでもなく、書くのもめんどくさくなってきたのでいろいろ端折って受験本番シーズンに突入。けっこう努力したわりには英語は克服することなくずっと苦手だったように感じる。他の教科は軒並み伸びたにもかかわらず、英語は現役よりもセンター本番で点数を落とした二つの教科のひとつでけっきょく120点くらいしか取れなかった。リスニングも20点くらい。英弱にもほどがある。(あとひとつは現役時97点も取れて浪人したら91点まで落ちてた倫理)
当時から大学に入学してからも数年は英語は一生使ってなるものかと思っていたものだけど、今では日常的に使っているし仕事も博論執筆も、なんなら彼女との会話も英語メインでやれているのだから人生って不思議。
まぁ結局センター試験全体では8割ぎり届かずというところだったけどセンターリサーチは電通大A判定で二次も何の問題もなく合格。私大も受けたところは全部受かったのでめでたしめでたしであった。たぶん入試当日のことはまた別の機会に振り返ると思う。
終わりよければ過程はなんでもよさそうなのが浪人生ってもんだけど、自分にとっては過程も間違いなく大事なことで、殻に閉じこもってひとりでわちゃわちゃやってた結果、オタクと陰キャが加速した時期でもあり、でもそれがあったからこその楽しい大学生活 in オタク大学だった。
ちなみに受かった年の春、予備校の新年度のパンフレットを眺めてみたら、クラス別案内に自分の合格体験談が載せられた。レベルがひとつ下の在籍したことがないクラスで。これが経営戦略かと素直に感心し、図書カード3千円分くらいもらったのでラノベの購入に充てた。
終わり
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